7/7にYMOが京都でスペシャルライブ

http://dwww-news.sblo.jp/article/3995971.html
http://www.liveearth-japan.jp/
 ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
 5/19のHAS(実質YMO)公演に行けなくて悔しい思いをしていたが、早くも次の公演の計画が細野晴臣のサイトにて発表された。
 しかも今度はHASではなくYMO名義。正確には「Yellow Magic Orchestra」と表記されているが、YMOは活動の後期(1981年〜1983年)や再生(1993年)では、この長い方の名義を一切使っていない。(ただ2007年の「RYDEEN 79/07」は長い方の名義)
 もしや前期(1978年〜1980年)の楽曲に絞ったライブに??それはないかな。
 
 5/21のテレビ番組「ゲツヨル!」のインタビューで細野晴臣が「YMOという名前を使うと訳のわからない人が沢山集まってくる・・・」と1993年の再生を振り返って嘆いていたが、確かにあのときのメディアの取り上げ方は異常だった。90年代テクノが盛り上がりを見せる中、もうここはYMOが登場して収拾を付けないと仕方ない・・・といった煽り方であったように思える。その後90年代後半は、お三方ともインタビューなどでYMOの話を振られるたびに露骨に拒否反応を示していた。CD-ROMコンテンツ「SELFSERVICE」内のインタビューでは細野晴臣は「新しい音楽を聴いてください・・」としみじみ語り、坂本龍一に至っては「いつまでも過去にしがみついてんじゃないよ!」とまで言っていた。
 ファンはみな、お三方の心情も理解した上で「もうYMOは再結成しないんだな・・・」と悲しい思いをしていた。
 
 しかし、雪解けというのはやってくるもので2000年にNHKで放送された『細野晴臣イエローマジックショー』にてまさかのライディーン演奏。コントの延長であったため爺さんの扮装で楽器もおもちゃのようなものであったが、それでも楽しそうにYMOナンバーを演奏する三人にファンは涙した。
 そして2002年のスケッチショウ。もともと高橋幸宏のソロアルバムを細野晴臣がサポートしていたのが2人のユニットとなり、坂本龍一も2曲参加したため実質YMOに非常に近いものとなった。坂本龍一はライブのゲストでも何度か参加。とうとうステージ上に3名が並ぶ姿が見れるようになった。(ちなみに大阪公演では来てくれなかった・・・)
 その後スケッチショウ + 坂本龍一のユニット名としてHAS(Human Audio Sponge)という名称が出来て、2004年にバルセロナと東京で行われたSONARに参加。そして今年5月、横浜で初めてのHAS単独公演。お三方はあちこちのインタビューで「HASと書いてYMOと読んでくれ」と宣言。(既に、3月〜4月のキリンラガーのCMでデカデカとYMOの文字が躍ってはいたが)
 注意深くゆっくりと、しかし着々とYMO復活へのお膳立てが進む様をファンは固唾を呑んで見ていた。そして遂にYMO名義のライブが実現する運びとなった。一度は諦めていたYMO復活が、このような形で現実のものとなりつつある現状を喜びたい。
 
 初めてYMOを聴いたときは小学生だったわしも今は四十路。ファン層の中心もだいたいこのあたりだ。
 メンバー最高齢の細野晴臣は今年で還暦。しかし、ストーンズポール・マッカートニー加山雄三もとっくに還暦越えているのにまだまだステージで暴れまわっているではないか!(加山雄三が暴れまわっているかどうかは定かではないが) まったりとしたライブも良いが、もっともっと派手にやってくれたら嬉しいな・・・でも出来れば座席のあるライブの方が良いな。