選択的夫婦別姓と家族のつながり
http://d.hatena.ne.jp/molamola/20100723/p2 のつづき。
今日もまた、痛ましい事件があった。
■女児が木箱に入れられ、窒息死 母親ら2人逮捕「夜泣きがうるさい」(2010/7/24 産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100724/crm1007241222010-n1.htm
親子の愛情や家族のつながり以前に人としての常識が問われる話ではあるが、それでも祖父や祖母、親戚や友人との関係がもう少しうまく行っていれば、こういう事件は回避できる可能性が高いのではないか?
昨日の記事をもう一度引用するが、
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100723/plc1007232116011-n1.htm
答申は、喫緊の課題として、多様な生き方を可能にする社会制度の実現に向けて「世帯単位の制度・慣行から個人単位の制度・慣行への移行」を掲げた。その具体的な取り組みとして「家族に関する法制について選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」と明記した。
「家族から個人へ」というのはそんなに急いで解決しなけらばならない問題?
そもそも何が問題?
ひとつだけはっきり言えるのは、これは単なるイデオロギーによるものだということ。
この選択的夫婦別姓を強く推しているのは仙谷官房長官や千葉法務大臣ら旧社会党の議員で、他の社会主義的な法案と併せて社会党時代から虎視眈々と成立を狙ってきたものを、現在与党である立場をフルに生かしてサラッと通してしまおうとしているだけ。
選択的夫婦別姓については「別にそれぞれの家庭の話だから、構わないのでは?」という意見もあるが、姓(氏、名字)というのは家族に対してつける名前、ファミリーネームなのだから一家族に二つの名前があるのはそもそもおかしい。
民法では「夫もしくは妻どちらかの姓から選ぶ」となっているのだから、家族の名前としてどちらがいいか夫婦で相談すれば良い話である。まぁ、慣例的にほとんど夫の姓が選ばれている訳だが。
ちなみに東アジアでは伝統的に夫婦別姓の国も多いが、これは単に「妻を夫の家に入れない、氏など与えない」という極めて封建的なもので、日本で論じられているリベラルな夫婦別姓とはかなり異なる。日本の場合「子供が両親どちらの姓を選ぶのも自由にする」とまで謳っているのだからえらい違いだ。・・というか、そんなんどう考えてもおかしいって。