HTML 5でセマンティックWebが進むと困る人たち

http://www.publickey1.jp/blog/09/html_5web.html
 2年前(2009年)のコラムだが、ちょっと気になったので引用。
 セマンティックWebという言葉は何年か前に流行ったが、要はWebページの情報を「本文-見出し-要約-本文」などと形式を統一して巨大な知識データベースを作ろうという発想である。
 形式が整っていれば当然、検索や抽出・集計が行いやすくなり利便性は向上する。しかし、そうなると現在多くの企業サイトなどが収益源としている広告がスキップされてしまうため、結局そんな綺麗な形で物事は進まないだろうというのがこのコラムの主張。
 それは確かにその通り。かつてビデオデッキが発売されたとき、そしてCMスキップ機能が登場した際にテレビ局が猛反発したみたいなもんか。ただWebの場合、情報提供者は企業だけではないけども。
 
 ところで、閉じた組織内であっても、蓄積した情報を知識データベースとして扱えるようにするのは難しい。「○○に関する情報、どこかに書いてあったような・・・」としばし探し回っている人も多いはずだ。後々活用できる有用な情報が埋もれてしまうことも多い。「文書管理ツール」もいろんな会社からあれこれ出ているが、いまだデファクトスタンダードになる製品が無いところを見ると「これだ!」という決定的な手法というのはまだ確立されていないのだろう。最後は全文検索に頼ることになるかもしれないが、インターネット上のGoogle検索などと違って組織内では「有用な情報とそうでない情報の順位付け」も難しい。(誰かが手作業でメンテナンスする必要あり)
 そもそもの問題として「本当に重要な情報は担当者の頭の中」だったりするのは昔も今も変わらないはず。そういう情報をデータベース化してゆけるかどうかは、組織として「個人のスキルをデータベース化することを正しく評価できるか」につきるが、そのあたり進んでいるのかどうか。コンピュータの速度は年々速くなり、記憶できる容量も劇的に増加してはいるが、情報をいかに再利用しやすい形で整理するかについてはまだまだこれから。